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本の感想:Team Geek

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

Team Geek ―Googleのギークたちはいかにしてチームを作るのか

O'Reilly Japan - Team Geek

著者、訳者

関連

雑感

  • HRTは、何かが脅かされたとき、欠けてしまいがちになると思う

疑問、調べたこととか

音楽の話

HRT(謙虚・尊敬・信頼)の3本柱を中心としたこの本を読んだとき、「ITエンジニア業界でもこれが重要となるのか」と驚いた。なぜなら西洋音楽において、謙虚・尊敬は常に厳しく言われていたからだ。正確に言うと、HRTというキーワードはなく、信頼に該当するものは無かったと思う。「西洋音楽 謙虚」とググっても特に記事が引っかからないので、西洋音楽においては「自分が経験した特定の門下がたまたまそういう文化だった」としか言えない。なのでこの話は西洋音楽といいつつも、自分だけの偏った音楽の話であるかもしれない。

ITエンジニア業界におけるHRTは、ソフトウェアは一人で作るものではなく複数人で作るもの、だから人間とのHRTが大事だ、というものだと思う。一方、西洋音楽においては対照的で、ピアノは一人で作品を演奏するもの、作品と作曲家に対して謙虚な姿勢と尊敬が必要とされる。その作曲家は何に対して謙虚であるかというと、音楽に対してだ。作品と作曲家に対して謙虚と尊敬な姿勢であれば、自ずと、自分と同じく音楽を学ぶ人に対してもその姿勢が適用される、という感じだったと思う。もっと言うと、神のような何か→自然の理→音楽→作曲家→作品→我々、みたいなピラミッドがある。具体的には、以下のような謙虚・尊敬だ。

  • 作品を演奏するならば、作曲家の生涯・作品が生まれた背景を知らなければいけない。それをせずに演奏することは作曲家に対して失礼だし、時間を共有する演奏の聴衆に対しても失礼である。
  • 楽譜を読み飛ばし、自分よがりな演奏をすることはエゴである。
  • 練習せずにレッスンを行うことは、作曲家に対して失礼だし、その時間を共に過ごす先生に対しても失礼である。
  • 1日で音楽以外の怠惰な時間を過ごすことは作曲家に対する冒涜である。

生きている人間の振る舞いに対するHRTではなく、作品と(亡くなった)作曲家、その向こう側にある音楽に対する謙虚・尊敬だ。Team Geekが説明するHRTとは、レイヤーが違う気がするけれど、そんなことを思った。

数日後の感想「これは罠だ…!」

この本を読んで数日後、事象に対して「これはHRTだ」「これは HRTではない」と無意識に区別していることに気づいた。考えるのは自由だけど、咄嗟に行動にでてしまいそうで危険と感じた。つまり、「あなたの行動はHRTではないです」と言うことは、排除する行動の一つかもしれない、すごく気をつけた方がよさそうだ。